オークランドのハーバーブリッジ徹底解説 橋と人々の生活
Kia Ora(キオラ)!
今回は、ニュージーランドはオークランドの象徴のひとつであり、オークランド中心部から北オークランドのノースショアを繋ぐ、生活や交通のライフラインとして活躍している「ハーバーブリッジ」と、建設が終わった後の人々の生活がどう変わって行ったかを見て行きたいと思います。とても長くなりますので、お時間のある時にお読みください。
- 1. ハーバーブリッジの開通。60年以上の歴史
- 2. 開通から10年後、ニュージーランドにやってきた日本企業
- 3. 橋は元々、有料道路だった
- 4. 交通量の増加に伴う渋滞緩和システム
- 5. 完成した後の人々の生活の変化
- 6. ライトアップとスカイパス計画
- 7. 橋のアクティビティ紹介
1. ハーバーブリッジの開通。60年以上の歴史
まずはハーバーブリッジの歴史を振り返ってみましょう。1954年に着工が始まり、1959年に4車線の橋の建設が完了しました。オークランド中心部からオークランドの北にあるノースショアを繋ぎ、長さは1020メートル、水面から43.27mの高さを誇るとても大きな橋です。こちらの動画は開通した際のオークランドの様子を映したものです。
1959年4月に工事が終わった後、正式に橋が開通したのが5月30日となり、この日は今現在もハーバーブリッジの日となっています。当時、開通日にはそれを記念して、10万6千人もの人々が歩いてその開通を祝ったそうです。
建設中はイングランドから180名の労働者も来て、1000名もの体制で工事にあたっていました。1956年から1957年にかけては、ストライキが行われ、ある時期には嵐によって作り上げた橋の一部が飛ばされるなどして、完了時期が遅れるといったこともありました。また、建設中は4名が事故で亡くなり、今はノースショア側の橋の下に名前が刻まれているそうです。
ハーバーブリッジの原案自体は、遡ること1860年という遥か昔になります。オークランドの北に位置するノースショアを拠点とする牧場関係の方が、オークランドに家畜市場を更に大きくしたいということで、移動や運搬の負担を和らげるため、橋の建設が提案されたことが始まりでしたが、コストがかかりすぎるといったことで、当時その話はなくなったそうです。
その後、橋の話は水面下で続き、1946年になると、橋のデザインと機能性などが具体的に提案され始めます。当初は車線の数が5か6車線、交通量調整システム、両側に歩行者用レーンという計画でした。しかし、いざ建設を始める段階まで来ると、当時の政府が主導で緊縮経済を掲げていた為、コストの問題で、4車線のみ、歩行者用レーンなし、車専用ということで1954年に建設工事が始まりました。1959年には開通しますが、その10年後に見えてきた問題とは?
2. 開通から10年後、ニュージーランドにやってきた日本企業
ハーバーブリッジが完成した後、オークランド北部は発展、便利になった為、たくさんの人が移住するようになりました。1965年までには1年間で往来する車の数は約1000万台となっており、たった10年も経たないうちに予想の3倍にもなっていました。
そこで、1968年から1969年にかけて、元々4車線であった橋を増設し、8車線にすることにしたのです。これで橋の車線数は2倍になり、増えたまたはこれから増える交通量に合わせて拡張したのです。
その時の拡張工事を請け負った会社が、日本の石川島播磨重工業(現IHI)でした。政府は拡張工事を始めるにあたって、世界的な入札制度を用い、これを見事勝ち取ったのが日本では知っている人も多い石川島播磨重工業でした。
拡張工事にあたっては、橋の両側から2車線ずつ追加をするというクリップオン方式が取られました。石川島播磨重工業は、日本で4車線分の橋を作ってから、NZへ船で運び、交通を妨げることなくあっという間に橋を増設してしまったのです。これが日本の技術水準の高さを知らしめたこともあり、ハーバーブリッジは、ニッポン クリップオン(Nippon clip-ons)とも呼ばれるようになりました。
3. 橋は元々、有料道路だった
ハーバーブリッジは、NZの最北端から続く国道1号線の一部であり、オークランドノーザンモーターウェイという高速道路の一部でもあり、1959年に完成した後、有料道路として開通されました。
開通当時、ニュージーランドでは現在のNZD(ニュージーランドドル)ではなく、NZP(ニュージーランドポンド)が通貨として使われていました。ハーバーブリッジは開通と同時に、橋の北側の両レーンに料金ブースを設け、車1台につき2シリングと6ペンス(2020年では約6ドル)の料金を課して橋は開通しました。
それから15ヶ月後、2シリング(2020年では約5ドル)に料金が引き下げられました。その後、1967年にNZPからNZDへ通貨の切り替えが行われ、料金は据え置きの形で20セントとなり、1980年には25セント(2020年では約1.5ドル)になりました。そして、1984年3月31日には有料道路及び料金ブースはなくなり、無料で開放されることになりました。
この料金の徴収自体は、建設にかかった費用を回収するためであった為、今現在は人々は何かを支払うことなく通過することができます。それ以外には、増え続ける交通量と渋滞の対処には別のシステムも使われていました。
4. 交通量の増加に伴う渋滞緩和システム
ハーバーブリッジ建設当時から、橋を使ってオークランド中心部と北部を往来する車の交通量はみるみるうちに多くなっていきました。10年後には拡張工事をしましたが、それでは収まらないほどに交通量は多くなり、通勤や帰宅時間には渋滞が酷くなっていきました。そこで1990年、渋滞をできるだけ回避、緩和できるシステムを導入しました。
8車線ある橋の中央に可動式ブロックが配置され、 バリアマシン(Barrier machine)という専用の車がブロックの上を通過することによって、中央から車線を跨いでブロックが動きます。4:4であった車線は、混雑する時間帯に合わせ、3:5になったり、5:3になったりと渋滞を緩和させます。
このバリアマシンは、早朝4時頃、午前10時頃、午後3時頃、午後7時頃、と1日に4回稼働します。朝は6時台からオークランド中心部や西、南へ仕事へ向かう方が多くなる為、街方面の車線数が5と多くなり、北方面の車線数が3となります。通勤の時間帯が過ぎると、10時頃に4:4に戻ります。また、帰宅の時間帯には朝と反対車線が混雑するため、北方面が3車線、街方面が5車線となります。その後、午後7時過ぎに車線の数は元に戻ります。
ちなみにこれが行われるのは、月~金の平日のみ、つまり、一般的な仕事をする人が多い日に限ります。逆に休日や祝日などはバリアマシンも動かず、道路は空いていることが多いです。
文面だけではわかりにくいと思いますので、Youtubeの動画を貼っておきます。この動画は、有名なサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジのバリアマシンの様子です。オークランドのそれは、世界で1番最初にこのシステムを導入したそうですよ。
このシステムが導入された当時は、車線数は6:2になっていたこともあったそうです。2車線だけでは深夜でもない限りなかなかつらそうですね。今は5:3の割合になっていますが、夜中の橋の点検や工事などがあると、片側の2車線が封鎖され、3:3になることもあります。また、ハーバーブリッジは北へ向かう唯一の陸路と言ってもいいぐらいですので、時間帯によって交通量は凄まじいものになります。通常は5分ほどで渡れる場合もひどい時は30分かかったり、そのような時に事故が起きると車が動かない地獄のような光景になります。
1959年の建設当時は、1日の車の交通量は約1万1千台でしたが、バリアマシンのできた1991年には約12万台、2006年には約17万台に、2020年には約20万台までと急激に交通量は増加しています。その間、オークランド北部ノースショアの人口は4倍にもなっていきました。
5. 完成した後の人々の生活の変化
ハーバーブリッジの交通量が増えるということは、それだけオークランド北部のノースショアの人口が増えたということになります。それだけ、この橋は1号線に繋がり、ノースショア各地区を中心部から更に行きやすく、身近なところにしてくれた、ということになります。
橋が完成するまで、オークランド中心部からノースショアへ 向かう際は、2つの方法がありました。ノースショアは地続きにもなっていた為、オークランド西部からぐるっと車で2時間ほどをかけてノースショア方面に行っていました。とても気軽に行けるほどではないですね。それ以外には、車を積めるフェリーも出ていた為、フェリーで30分ほどで行くこともできたようです。それが橋のおかげで10分もかからずにノースショアへ行けるわけですからね、人も増えていくことが納得できます。
わかりやすいように地図でご覧頂きたいと思います。西から北にかけてある大きな高速道路18号線は2007年に完成し、より交通の利便性は増しました。橋が事故や大きな渋滞に見舞われている場合は西に向かい、18号線を通って北に向かうほうが早いこともあります。しかし、中心部から西を通って北へ向かう際にその便利な高速道路を使ったとしても、30分以上はかかります。これが昔は2時間かかっていたそうです。
1950年代にはノースショアの地域には約5万人ほどの人々が住んでいたそうですが、ハーバーブリッジの完成後、ノースショアの発展に伴い人口は4倍にも膨れ上がれました。ニュージーランド全体の人口は上昇の一途ではありましたが、1950年代にはオークランド人口は約40万人(ノースショア約5万人)だったところ、2020年現在では約160万人、ノースショアの人口は20万人を超えています。
今現在、ハーバーブリッジのメンテナンスには毎年400万ドル(日本円にして3億円近く)が使われ、同時に160名ほどの方が橋の点検や補強などのために働き、雇用機会も生み出しています。
6. ライトアップとスカイパス計画
2017年末頃から、ハーバーブリッジは夜になるとライトアップをするようになりました。また、マオリの新年を祝う日やアンザックデー、ハーバーブリッジの日などの祝日や記念日にはライトショーのイベントが行われています。このイベントを催している企業が「Vector Lights」というNZのエネルギー関連企業です。オークランドカウンシル(市役所のようなもの)と協力し、ソーラー発電などのクリーンなエネルギーでライトショーを行います。下のリンクから、2019年のハーバーブリッジ60周年記念の動画などご覧頂けるようになっています。
2019年には、車専用のハーバーブリッジにスカイパスという歩行者用レーンを作ろうという案が具体的に上がってきました。上の画像はひとつの構想のようですが、下のNZTAがアナウンスしたものがより現実的な形になるのかもしれません。この案は正式に決まったものではないようなのと、時期も2022年以降になるかもしれませんが、オークランドをより住みやすい場所にしてくれるでしょう。
7. 橋のアクティビティ紹介
ハーバーブリッジでは、様々なアクティビティやイベントが行われています。代表的なものでは、橋の下から海に向かってバンジージャンプをする「ブリッジバンジー」、高さ65mにも及ぶ橋の上の鉄橋部分を歩く「ブリッジクライム」などが挙げられます。ハーバーブリッジは車専用の橋である為、歩いて渡ったりといったことはできませんが、これらのアクティビティに参加することで、橋の下に設置されているウォークウェイを歩いて中心部分まで行くことができます。写真も併せてご覧ください。
また、イベントとしては毎年10月か11月に開催されている「オークランドマラソン」があり、こちらに参加をされた方はなんとハーバーブリッジを走って(歩いて)渡ることができます。 参加者は1万2千人を超えるというNZの人口を考えればとても大きなマラソン大会です。
それ以外には、オークランドの周りに広がるワイテマタハーバーをぐるりと一周するクルーズツアーなども行われています。フェリーターミナルから約1時間半、英語だけですが解説などもしてくれ、ハーバーブリッジの高架下を船でくぐることもできます。定期フェリーでは、便数は少なめですが、西オークランドのウエストハーバー行きのものもあるようです。これはハーバーブリッジを下から写した際の写真です。
参考サイト
ブリッジバンジー
https://www.bungy.co.nz/auckland/auckland-bridge/auckland-bridge-bungy/
ブリッジクライム
https://www.bungy.co.nz/auckland/auckland-bridge/auckland-bridge-climb/
https://aucklandmarathon.co.nz/
ハーバークルーズツアー
https://www.fullers.co.nz/experiences-tours/day-tours/auckland-harbour-cruise/
ということで、オークランドのハーバーブリッジの魅力、伝わりましたでしょうか?
皆さんもぜひ車で通過したり、アクティビティに参加したり、ツアーで車窓観光やクルーズツアーに参加してハーバーブリッジを体験してみてください。